久しぶりに熱く語りたくなってしまいました!
単なるエッセイですので悪しからず。笑
シンガポールに4年住んでいて、「日本の常識は海外の非常識」というのを、よく感じることがあります
実際、シンガポールの子育て環境は、日本とはかなり違います
私はまだ子供がいないので、あくまで外からみての感想だけど、日本の一般的な価値観の中での子育ては、正直とても大変だと思う
シンガポールでの子育て(特に西欧人)は、いろんな国籍の人がいるからか、とても自由で、子供に縛られているという雰囲気や決まった型というものがない
私の住んでいるところには、西欧人やインド人、中国人が住んでいて、専業主婦もたくさんいますが、
子供を預ける=悪いこと
という概念はないので、子供を保育園やお手伝いさんに預けてプールサイドでのんびりしている人もいたり、かなり自由に過ごしています^^
目次
この記事をかくキッカケになったブログ
最近たまたま、子育て中のお母さんが、「ずっと行きたかった海外旅行に行ってきた」というブログを読みました
その間、お子さんは旦那さんとお母さんが面倒を見てくれていたそうで
その方は、ずっと、
- 子供がいたら自由にしてはいけない
- 子供に寂しい思いをさせてはいけない
と思っていたそうです
そういう方って、とても多いと思います
で、それに対する批判コメントがあって、
- 子供が寂しがってても、いくたいところに行く。寂しがる子供が悪いっていうの?
- 子供が心に傷を負ったり、事故に巻き込まれたとしても仕方ないと割り切るのか?
- 結局旦那さんだけでなく、義母にまで迷惑をかけている
- 自由にしたいなら、最初から子供なんて作らなければいい
- 「家族を犠牲にしてもやりたいことをやりましょう」というのを広めたいのか!
という批判でした
この批判はかなり極端な方だとは思いますが、これを読んで、まさに「日本の常識的価値観」の象徴だなと思ったのです
もちろん、そのブログを書いた方は、「寂しがる子供が悪い」なんてことは言っていません
日本の子育てを過酷にする3つの理由
このブログを批判している人の価値観って、善悪二元論の価値観なんですよね
この方自身、“悪いこと”をしないように、我慢してきたのかもしれません
さらに、「自分が楽になる・自由になること」は、「家族を犠牲にする・我慢をさせること」(他者の犠牲のうえに成り立つこと)だと思っている
そうした日本の常識でつくられた善悪の価値観が、日本の子育てや結婚を、苦しいものにしているのだと思うのです
そもそも、自分が我慢していることは、「本当に、そんなに悪いことなのか?我慢する必要があるのか?」というところを見直すべきです
子供を預けることへの罪悪感が強すぎる
まず日本は物理的に、子供を気軽に預けられる環境が整っていないというのもありますが
さらに、「働いているから」などの“正当な理由”がないと預けてはいけないという考えが根強い
母親がリフレッシュをすることや、自由な時間をもつことがまだまだ全然認められていない感じがします
たとえそれができたとしても、それを周りに言えるような雰囲気じゃない
「母親なんだから我慢すべき」
「人に頼ってはいけない」
この考えが、染みついていますよね
借りられる力はどんどん借りていいと思うし、家族や、お金を払って預けることは全く悪いことじゃないのに
“傷つく”ことへのネガティブなイメージ
子供が泣かないように全てを子供都合に合わせることなんてできません
仕事に行くのも、旅行を行くのも、泣くときは泣いてしまうし
人との関係でも、意図せず傷つけてしまうことはあります
「まだ子供なんだから」というのも、「いくつまで子供と考えるのか?」というのは人によって違います
3歳や5歳でも、言葉が使えるようになれば、事情を伝えるということもできるし、欧米ではその傾向が強く、日本は割といつまでも子供として扱っている人も多いイメージです
この部分は、私に子供がいないので、理解しきれない部分だと思いますが
些細なことでも泣いてしまうこともあるでしょうし、泣く=傷つく、という訳でもありません
そもそも、“泣くこと”や“傷つく”ってそんなに悪いことなんでしょうか?
泣くことを悪いことだととらえていると、できる限り泣かないようにしようとします
傷つくことがなければ、人の痛みを知ることも、癒し方を学ぶこともない
傷つくことを恐れるようになります
それが本当に、子供にとっていいことなのでしょうか
子育てママに対する日本人の厳しさは異常
上の批判にもでてきていますが、
他人に迷惑をかけてはいけない
(=小さな子供がいる人は最大限周りに気を配るべき)
というのが、とても強いですよね
日本では電車やバスでもベビーカーが嫌がられたりするというのをよく聞きますが、それは日本特有のものです
子供を連れていたら、子供が騒いだり、多少迷惑かけるのは当たり前
シンガポールだったら、それが嫌な人は間違いなくタクシーに乗るでしょう
ベビーカーの人が文句を言われているなんて光景は見たことがありません
子供が泣いていることに対して、申し訳なさそうにすることもありません
日本人の子育てに対する厳しさは異常なんです
迷惑をかける側が悪い、それに対して文句いう権利があるみたいな思想って、とても心が狭い考えですよね
誰だって子供だった、お年寄りになる時期は来るもので、迷惑をかけることはあります
それを許容し合う方が、生きやすい社会になるのになと思います
子育て中の女性が楽になる、3つの提案
まずは自分を許そう
そもそも“迷惑をかける”って言葉が好きではないので言い換えますが、
“周りを頼る、助けてもらう自分”を許す
それが、より良い社会を作ることにも繋がるんです
なぜなら、自分がそうすることを許せなければ、他人を許すことができないからです
自分を許し、他人も許すことができたら、少なくとも自分の周りには優しい世界が広がっていきます
自分の◯◯したい、辛いなどの気持ちに正直になることも、とても大事
今すぐにどうにかなるものではなかったとしても、自分が気持に正直でいることや、身近な人がそれを理解してくれているということで、気持ちが楽になったり、助けてもらえることもあるかもしれません
我慢のしすぎは誰も幸せにしない
自分さえ犠牲になれば
自分さえ我慢すれば
そうして我慢に我慢を重ねたお母さんの姿を見て、喜ぶ子供はいません
ましてや、旦那さんがいるのならどんどん頼るべきです
必要なのは、
周りに助けを求める勇気
常識や、〜すべきにこだわるのをやめる勇気
かもしれません
自分のことを楽にしてあげられるのは自分しかいないのです
もちろん、家族を犠牲にしていい、ということではなく、自分の気持ちを伝えたうえで、折り合いをつけていく
「犠牲」(誰かの我慢のうえに成り立つ幸せ)という概念を捨てて、みんなが納得し、幸せでいられる方法を考えていくことが大切だと思っています
完璧な子育てという幻想を手放す
上に出てきた批判の中に、「子供が心に傷を負ったり、事故に巻き込まれたとしても仕方ないと割り切るのか?」ということがありましたが、
完璧な子育てなんて、そもそもない
ですよね
我慢していたら、突然鬱や病気になってしまうこともあるかもしれないですし、「完璧な子育て」という概念自体が、幻想なんです
例えば、自分がずっと側にいたとしても、
泣かせない
傷つけない
絶対に事故らない
そんな子育ては、ありえないですよね
それでも、(自分がそうしたいからではなく)「そうならないように努力するべき」というのは、そうなった時に
自分は頑張った(=だから、私は悪くない)
できる限りのことをやったんだから(=仕方がない)
という言い訳をしたいだけなのです
責められたくない
批判されたくない
罪悪感を感じたくない
というのがあるからです
自分がそれを選択したければ、もちろんそれでいいんです
それでも、“預けない”も”預ける”も一つの同じ選択であって、「どちらが正解か」というのは幻想だということです
そういう感情も含めて、もっと自由に選択していい
子供と離れたくないからずっと一緒にいる
家族と折り合いをつけて、自分がやりたいこともやる
どちらも同じ選択
人や自分に言い訳をするための選択ではなく、自分自身がどうしたいのか、という選択をしてもいいんです
おまけ:日本の常識は世界の非常識
もっとグローバルに、地球視点で生きよう!という提案です(笑)
世界にはいろんな人がいます
日本人という一つの枠の中にだって、いろんな人がいて当然
日本の常識は、世界の非常識なのだから、常識なんてあってないようなもので、どう選択をするかはもっと自由であっていいはず
常識からくる、「◯◯すべき」は手放した方が楽になります
子育てや生き方に、正解はないのですから
まとめ
子育てに限らず、生き方全般に言えることだと思いますが、もっと日本人は自由になった方がいいと思う
生き方も、働き方も、子育ても、もっともっと「こうあるべき」を手放して、それぞれの選択を尊重できるような社会になったらいいのにと思います
繰り返しますが、自分さえよければいいとか、単に子育てを放棄していいとか何でもOKという話ではなく、
- 正直に自分の気持ちや考えを伝える
- 周囲と話し合い、折り合いをつける
- お金で解決する
などの手段を取ればいいのです
その上での結果は、受け入れていくしかないのですが、
子供も他人もコントロールできないように、自分を自由にしてあげられるのは自分しかいません
エッセイのはずが、超長くなってしまいましたがww
これは未来の自分に向けて、書いているのかもしれません
少しでも楽になる人がいれば幸いです^^♡
最新情報をお届けします