氣付き-note

自分を生きる

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【 自分を生きる 】

隣の芝生が青く見えたり
自分には価値がない、と感じてしまうのは

たいてい、知らないから
ということが多い。

例えば、

地方での暮らしは、絵に描いたような
“自然な暮らし”のみがあるわけではなく

虫や動物達、自然と
共生するための生業や不便さ
がたくさんあるだろうし

起業して自由を手にする、ということは
その分、あらゆる責任が同時に発生する。

同じく、この世界では

ありとあらゆる仕事や役割があって
人々の生活が成り立っている。

コロナになって
畑や、地方移住をしたい
というのも増えているというけれど

同じくらい、適応できずに
都市へ戻る人も多い、と聞くし

会社に依存していたらダメだとか
自給自足に近づかないと
とか、いろんな不安を抱えてる人がいて

私自身、そう感じていた時があって

そういうときこそ

人は、一人では、
絶対に生きられない

ということを
何度も想い知った。

私の場合、

様々な“リアル”と向き合う中で
地方移住はしない(魂の道ではなく、スムーズでない)
という結論に至ったのだけど

逆に、3年前、夫と起業したときは
まるでチャイムが鳴ったように、

会社が担っていた色々を引き受け
守られていたものや援助を手放してでも
今の環境を選びたい、と思えた。

それは、おそらく
生まれる前から決めていたことで

ただ、そのタイミングがきたと
自然と、感じることができたからで、

結局は、どんな道においても
表も裏も、丸っと全部
引き受ける覚悟が、あるかどうか

自分という

本質=最も自然、貢献できる役割
に沿った、魂の道であるかどうか

それに尽きるのだと、思う。

自分は、自分を生きるしかなく
あなたは、あなたにしか、生きられない

それが、真実で

それ以上に、生きる理由も
価値も、なく

どんなに頑張ったところで
一人では生きられないのだから

どうせなら

安心して、自分以外を委ね、
自分という役割を、生きればいい。

自分で在ることによって
貢献していこう、としていると

ちゃんと受け取ってくれる人が現れ
ますます助けられていることを実感するもので

不安から、なんでも
自分で背負おうとすると

自分という役割
本来の位置から、外れてってしまう

そういう風に、世界は、できている。

自分にはできないことを
担ってくれている人への感謝を感じながら

自分にできることを、コツコツと

分離感という幻想を手放し

自分で在ることの喜びを
感じながら、生きていきたい

なんてことを、改めて、感じていた。

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