本質的な愛とは、信頼である
人間関係における愛とは、
- 困っていたら助ける
- 求められたら与えること
- 側にいてあげること
- 反応してあげること
それこそが、愛だと思う人もいるかもしれません
しかし、人間関係における愛の本質とは、与える・助けるといった表面的なことではなく、信頼することなのです
人との関係は、自分と相手への信頼があってこそ、良好な関係性が築くことができます
例えば、友人や好きではないパートナーと、「相手がかわいそうだから一緒にいてあげる」というのは愛でしょうか?
一見、優しさや愛情に見えますが、相手を下にすることによって自分の存在価値を認識するという、いわば共依存の関係性であることがほとんどです
親子関係においても、心配して色々やってあげることだけが本当の愛ではありません
心配をすることは、相手を信頼していないということと同じだからです
子供を信頼して、時には放っておくということもまた、愛なのではないでしょうか
自分が心から助けたいと思う状況なら、もちろんいいのですが、その場合、恐れや不安から行動しないということが大事です
しかし、自分が嫌だなと感じている時や、無理をして、求められるままに与えるというのは、相手も自分も信頼できていないということなのです
対等の関係とエネルギーの循環
自分が無理をして相手を助けたり、求められるままに与えるということは、相手の力を奪ってしまったり、自分が疲弊して傷つくことになります
自分が苦しい状態で、相手に与えることはできません
無理をして与えるということは、相手を『弱者』にするということでもあるのです
人間関係でも、エネルギーのバランスが悪いと必ず不調和が起こります
「良かれと思ってやったのに感謝されない」と不満をもったり、見返りを求めるようになったりします
例えば、セッションなどで相手に力を尽くしたり、相談に乗ったりするというのは、お金というエネルギーをいただくことで、バランスがとれます
自分が相手にエネルギー使い、尽くす時、お金を受け取ることで、エネルギーの循環がうまれます
私も、自分がお金を払ってサービスを受けることがありますが、対価を支払うことで「対等の関係」を築くことができているのです
なので本来、お金を支払う側でも、受け取る側でも、そこに上下はありません
それぞれが得意なことで、お金を循環させているだけです
つまり、お金のやり取りがあってもなくても、受け取る側でも支払う側でも、『お互いにとって喜びである』という状態でなくてはならないのです
相手を信頼して、断るのも愛
私も、様々な誘いや依頼を受けることがあります
でももちろん、すべての誘いに対して、乗る気であるわけではありません
何度も誘ってもらってる場合や、ある程度関係性のある方だと、やはり断りづらい時もあります
でも私は、気が乗らない時は、相手を信頼して(敬意をもって)断るのが良いと思っています
私の気が乗らない時点で、その人が今関わるべき相手は私ではないし、無理して会ったり協力したとしても、必ず不調和(歪み)が生まれてしまいます
したくもないことを「してあげる」というのは相手にも失礼ですし、本当の意味で信頼はしていない
自分も相手も、です
人と離れるということ
- 合わない人
- 居心地が悪い人
そのように感じる人と離れるということも、また愛です
一瞬は心が痛んだとしても、「相手は自分がいなくても大丈夫である」ということを信頼するのです
それに、またいつかどこかで再会することもあるかもしれません
「断捨離の重要性〜エネルギーの合わない人・モノは必ず離れる」の記事でも書きましたが、合わないエネルギーは一緒にいることができません
もしも離れられないのなら、離れられない理由があるはずです
(自分自身に何かを気付かせるため、など)
また、無理に一緒にいようとすると、さらなる不調和(トラブル)が起こり、強制的に離別させられることもあります
不要な摩擦やトラブルを引き起こすくらいなら、さっさと離れておけばよかったと思うかもしれません(もちろんそれも学びですが)
だからこそ、断ることも離れることも愛、なのです
それは、相手も自分も愛する(=信頼する・大切にする)ということですから♡
相手が嫌いなのに気になるとき
- 離れたいのに離れられない
- 嫌いなはずなのに気になってしまう
- 相手にモヤモヤとしてしまう
そんな時は、もしかしたら、自分自身の内面や観念と向き合う必要があるというサインかもしれません
詳しくはこちらの記事に書いたので、あわせて読んでみてください☆
https://ankorori.com/moyamoya/