最近は、糖質制限・先住民食・玄米菜食・マクロビオティック(以下マクロビ)など、様々な食事法があります。
4年ほど前、アトピー発症をきっかけに食事法を調べるようになってからずっと、「結局、どの食事法が正しいの?」と感じていました。
調べれば調べるほど、様々な意見やエビデンス(科学的根拠)がでてきて、混乱していったのです。
しかし今では、
“正しい食事法”は存在しないし、食事法にこだわる必要はない
と思っています。
この記事では、私が様々な食事法に対して思うことを書いていきます。
目次
食事法は宗教と同じ
それぞれの食事法についての詳しい説明はしないので、気になる方はそれぞれ検索してみてください。
私は、“食事法は宗教と同じ”だと思っています。
それぞれに信じている根拠(観点)があり、思想があるからです。
キリスト教と仏教に優劣がないように、そこに優劣は存在しないと思うのです。
それぞれの経験や知識に基づいて判断しているものであり、観点が異なっているからです。
例えば、マクロビを信じている人達の中には、動物愛護という観点から「お肉はよくない」と主張する方々がいます。
それについて、『植物はよくて、動物はよくない?』と少し疑問に感じました。
生きているものは、必ず何かの命を犠牲にしながら生きています。
それは、植物であろうと動物であろうと変わらないと思うのです。
命に大小はなく、生きている以上、“感謝して他の命をいただく”しか、生きる術はありません
一方で、糖質制限を実践する方々には、栄養学的な観点から、「お米を含めた一切の糖質は体に害である。」という主張をしている方々が多くいます。
厳密な糖質制限では、砂糖はもちろん、お米もイモ類もダメということになっていました。
それについても、『お米をモリモリ食べながら、健康を維持している人や長生きしている人がいるのは、どういうことか?』と疑問に思いました。
また、糖質制限の場合、「糖の代謝」という観点は盲点になっています。(そもそも糖の代謝が上手くいっていないことの原因を見ていない)
お米を中心とした食生活が歴史的に根付いている日本では、体にいいものとしている人も多くいます。
そしてそれぞれに、その食事法で健康を維持している方々がいます。
これらは、そもそも何を優先しているのか、何を根拠に良いと判断しているのかが違います。
信じているものや見えている範囲が違うのです。
そしてそれらは、必ずしも健康という観点だけとは限らないのです。
“完璧な食事法”は存在しない
残念ながら、“完璧で絶対的な食事法”というのは存在していません。
なぜなら、私がこれまでみてきた中でも、“100%健康になる食事法”というのは存在しないからです。
多くの人は、食事法を選ぶとき、「健康になりそうかどうか」で判断しています。
しかし、残念ながら、どの食事法を実践している人の中にも、必ず健康でない方や、途中で病気になる方がいます。また、数十年単位で継続している(できている)方も、ほとんど見ません。
一つの食事法(偏り)を継続していると、なんらかの不具合が出る方がほとんどなのです。
もちろん、一時的には、健康になる人もたくさんいますが
対立する食事法を実践して、それぞれ健康でいる人・病気になる人がいるということは、
“どちらも正解で、どちらも完璧ではない”
ということです。
私は、すべての健康法(食事法)は、自分なりのバランスを見つけていくための、プロセスなのだと捉えています。
避けた方が良い食品
「完璧な食事法は存在しない」とは言っても、食事にこだわっている人や様々な食事法にはある程度、共通していることがあります。
それは以下の3つを、『避けたほうが良い食品』としている点です。
- 精製された糖(特に、白砂糖)
- 食品添加物
- 遺伝子組み換え食品
他には、小麦粉(特に、精製されたもの)や牛乳などが、避けるべき食品としてあげられることが多いです。
「これらの食品の摂取を推奨している食事法」は、ほぼありません。
砂糖や添加物の過剰摂取は、糖尿病やアトピーの要因となることでもよく知られています。
私も、これらの食品については、できる限り避けた方が良いと考えています。
理想的な食事のバランスについて考える
上記のものを避けたうえで、「どのような食事が理想的なのか」と考え実践し、たどり着いた答えは、“栄養を充実させ、糖(エネルギー)代謝を阻害しない食事”でした。
これが最も、私には適していると感じています。
「正しい食事法は存在しない」とは言うものの、健康を目的とした食事法を考えるなら、マクロビに関しては、オススメしません。
マクロビはお肉を避け、野菜中心の食事になるのですが、これでは明らかに栄養(アミノ酸等)が不足してしまいます。
マクロビは思想や歴史的イメージの観点(肉を食すことを忌むこと)から推奨されており、糖質制限は栄養的観点から推奨されていると感じています。
そのため、栄養的・健康的に見ると、マクロビはどうしても難しいのです。
しかし、かといって、お肉ばかりというのも、オススメできませんし、糖を制限する必要もありません。
結局、病気などの健康上の理由から一時的に制限するのならまだしも、自然に存在する特定の食材を否定し、制限するというのは不自然だと思うのです。
また、活動のエネルギーである糖を、品質や、代謝の観点を抜きにして制限することも同じです。
中毒性が高いものを除き、体が欲しているもの(食べたいと感じるもの)を中心に品質にこだわっていけば、何かを制限せずとも、自然とバランスが調っていくものなのです。
体の声を聞き、体感を信じる
本当に自分に合った食事をするためには、体の声を聞く必要があります。
本来の体は、自分が何を必要としているか、食べたいものを知っていると考えています。
それを、頭で「何が体によくて、何が体に悪い」と考えながら食事をすることは、体の声を思考でコントロールしてしまうことになります。
よく聞く話として、マクロビをやっている人が、食べたいお肉を我慢する。糖質制限をしている人が、食べたい糖を我慢する。ということがありますが、
人の性格や体質が様々なのと同じように、自分の体に合う食事(バランス)も様々。
そしてそれを知るためには、“体感”を頼りにしていく以外の方法はないのです。
体の声を感知する“センサー”を整える
本来の体は、「体が必要とする食べ物」を知っているとしたら、なぜ人は、必要としてないものを「食べたい」と感じてしまうのでしょうか。
それは、“体の声をキャッチするセンサーが狂っているから”、なのではないかと考えています。
というのも、先ほど避けた方が良い食品としてあげたもののうち、砂糖と添加物は中毒性があるからです。
特に、砂糖や異性化糖・化学調味料は、食べれば食べるほど欲してしまうようになってしまいます。
中毒性があるため、体が欲していなくても、欲していると「勘違い」してしまい、本当に食べたいものが分からなくなってしまうのです。
これが、“体の声をキャッチするセンサーが狂っている状態”です。
私は、そのセンサーが正常でありさえすれば、自然と、自分が必要としているものを食べたいと感じることができる、と考えています。
大事なのは、食事法を探すことではなく、“「自分にとっての適切な食事が分かるためのセンサー」を整えること”なのです。
『こだわるけど、とらわれない』が大切な理由
ここまで、「食事法ではなく、センサーを整えることが大事」という話をしてきましたが、神経質になる必要はありません。
食事にこだわることと、とらわれることは、違うからです。
健康は大事だけれど、私たちは“健康のため”に生きているわけではありません。
私たちは、人生を楽しむために生きていて、そのための健康(法)、なのです。
私が食事法にとらわれなくなった一番の理由は、そこにあります。
食事において最も大事なことは、“好きな人と、美味しいと感じるものを、楽しんで食べる”ということだと思うのです。
体に悪そうだからといって、罪悪感を感じながら食べるなんてとてももったいない!
せっかく食べるのなら楽しんで、「感謝していただく」「美味しくいただく」というのが大事なのではないでしょうか。
まとめ:食べ方は生き方である
食事法について、私が思うことを書いてきましたが、これはあくまで私の考えです。
“食べ方というのは、生き方である”と思っています。
自分の体験や思想から、ある食事法を実践するのも、その人の生き方であり、
食事にとらわれて生きるも、こだわらずに生きるも、一つの生き方、プロセスなのです。
どれが正解ということはありません。
私自身は、制限する食事法にこだわるよりも、“もっと美味しいものを” “もっと体の喜ぶ食事を” と考える方が、楽だと思っています^^
美味しいものを食べたり選んだりすることは、日々の生活や人生を豊かにしてくれると感じています。